About

K’S FOOD LABは
熊本県上益城郡山都町との出会いから始まりました。

2017年秋。
旧知の友人の誘いで訪れた山都町。

熊本空港から車で一時間ほどの山里の農村でした。
豊かな自然、ゆったりと流れる田舎の暮らし・・
日本の農村のどこにでもある風情と思いきや

山都町は違いました。

先ず案内されたのは「通潤橋」

「通潤橋」は、150年以上も前に架橋された日本最大のアーチ型水路橋。
資料館でその歴史を紐解くと・・

かつて白糸台地は水の便が非常に悪い荒地であった。対岸には川が流れているのに、轟渓谷を挟んだ白糸台地には水の流れがなく、農耕に適さない。飲み水にも困る始末。ある時、矢部郷(通潤橋付近一帯の名称)の惣庄屋(そうじょうや)「布田保之助(ふたやすのすけ)」は、轟渓谷の流れ(通潤橋の下を流れる)を見おろしながらふと思う。「対岸の川の水をどうにかして、こちら側まで引くことは出来ないだろうか・・・。」そこから通潤橋の歴史が始まったのである。
対岸から白糸台地に水を通すための樋の建設は、付近の農民達の悲願でもあった。しかし、技術的な面や金銭的な面において、問題は山積で中々実現には至らなかったのである。それらを不撓不屈の精神で布田保之助は解決していった。ほうぼうに足を運び、寄付を募って資金を集め、また農民達に呼びかけて労働力も集めた。
資金が集まり、労働力も集まったが依然問題は残っていた。川から台地へ渓谷をまたいでそのまま橋をかけるのでは、あまりに巨大になりすぎて労働力も資金も足りない。かといって渓谷のところだけ橋をかけるのでは、橋の所まで降りていった水をまた台地の高さまで引き上げなくてはならないという難問が出てくるのである。

ではそれをどのようにして解決したか。
「連通管」を使い、一度低所まで落とした水を、圧力を用いてまた高所まであげるといういわゆる「サイフォンの原理」を応用した仕組みを使うことにしたのである。当時としては画期的なことであった。それまでも小規模なものは存在したが、これほどまでに大掛かりなものは前例が無かったのである。
水管を工夫し、橋の石組みを工夫し、試行錯誤の末に、述べ30000人が働いてようやく通潤橋が完成したのは20ヶ月後のこと。
橋を通り抜けた水は、吹き上げ口からほとばしり出て、白糸台地へ勢いよく流れて行く。誰もが手を叩きあって喜びを分かち合った。布田保之助も涙を流して完成を喜び、人々の苦労をねぎらった。そして、水門から流れ出る水を手の平に掬い、押し戴くようにして飲んだという。
通潤橋を通った水は、8つの村を潤し、田畑に水を供給。その水のお陰で、荒地も開墾されていった。橋の上を走る3本の水管は現在も使われており、約100ha以上の水田を潤している。有名な放水は本来は管内に溜まった土砂を取り除くために行われるもの。水の必要な農繁期をさけて行われる。

“想い通じて田畑潤う”

江戸時代の人々の熱い想いに
心を打たれます。

そして、次に案内されたのは「円形分水」

通潤橋の約6キロ上流部、山都町小笹地区にある円形分水。

中央から水が湧き出し、内円外周に7:3の比率になるよう区分けが施されています。
内円から溢れた水は、ここで野尻・小笹地区と、通潤地区(通潤橋方面)から白糸台地へと水田の面積に応じて、公平に分配されてそれぞれの用水路へ導かれる。

昭和31年にこの円形分水が完成すると、それまで干ばつの度に怒っていた水の紛争が一気に解決されたと言う。

水がいかに稲作に大切か、そして水を必要とする人に不満なく分けることがいかに大変だったかを感じさせます。

そして町の山々に広がる緑豊かな棚田

この山都町には豊かな自然だけでなく
稲作にかける人々の熱い想いと、素晴らしい英知が溢れていました。

初めての滞在ですっかり魅せられてしまった山都町。
そこへこの後度々足を運ぶことになったのには、そこに暮らす魅力的な人たちとの交流がありました。

この緑豊かな棚田で、30年以上も前からお米やお茶の無農薬栽培を手掛ける“下田美鈴さん”
機械の入らない棚田。同じ人手を掛けるなら無農薬のお米を作りたいという熱い気持ちで始めた無農薬栽培ですが
始めの頃は近隣の農家さんに「無農薬栽培などするから今年は害虫が増えて大変だ」と言われたり、農協さんとの確執もあったりと色々なご苦労がありました。今では多くのお客様からの注文がひっきりなしに入り、お茶も数々の賞を獲得されています。
夏休みに都会の子供たちを自宅に招く「農村体験」や、山都町図書館での「絵本の読み聞かせ」、地元の女性たちの
「やまんまの会」など、数々のアイデアを形にして行くバイタリティ。

そんな山都町も2016年4月の熊本地震では大変な被害を受けました。崩れてしまった棚田も多くあったそうです。
それでも、田んぼに入った土砂を片付けやっと農業を再開するめどが立ったところに今度は大雨の土砂災害が町を襲いました。高齢の農家さんの中にはすっかり疲れ果てて離農されてしまった方もいるそうです。
そして、鹿と猪の害。豊かな棚田も良く見ると色が変わっている一帯があり、猪が入ると一晩で稲穂は全てなぎ倒されてダメになってしまうとか。

こんな素敵な山都町の為に何か自分の出来ることは無いか・・と考えていた私は、先ずは下田さんの作る無農薬栽培の米粉を使ったスイーツ作りを手掛けてみることに。小さい頃からお菓子作りが大好きだった私は大学入学と同時に飯田深雪クッキングスクールで本格的なフランス料理を学び始め、B級師範ディプロマを取得し、自分の得意分野で地域復興のお手伝いが出来たらという一心でした。

先ずは下田さんの無農薬米粉と無農薬抹茶で焼いたシフォンケーキと、熊本の有機人参を使ったキャロットケーキ

皆さんから「どこで買えるんですか?」と聞かれるほど好評でした。

ところが・・
ここで食品衛生法の大きな壁が立ちはだかります。自宅のキッチンで作った食品は販売出来ないのです。
焼き菓子を製造販売するには、保健所に菓子製造業の営業許可を申請し認可を取得する必要があるのです。
この営業許可を取るには、食品衛生法で定めた基準をクリアした工房施設が必要となりますが、この施設基準がまた大変高く、「シンクは手洗い水槽の他にもう一つ別の水槽が必要」とか「目視できる排水口設備が必要」とか「防水完備」とか「ひとつの閉鎖された空間であること」とか・・もう普通のキッチンでは絶対に無理。
何回も諦めそうになりました。でも、営業許可が無かったらいくら美味しい米粉スイーツを作ったところで、販売できなければ何のお力にもなれません。とにかく色々な策を試みました。レンタル工房を探したり、実家の改築、改築可能な一戸建ての賃貸を考えて建築屋さんに見積もりを出してもらったり・・どれも実現困難なことばかり。もう八方ふさがりで諦めそうになっていた時に、お菓子作りの仲間から届いた一通のメール。

〜小田急相模原で認可工房を持つ方が、工房を閉められるとのことです。ご興味のある方は原状復帰される前に連絡をお取りになって見学に行って下さい〜

もう、不思議なタイミングで届いたメールに驚くばかりでしたが、とにかく直ぐに連絡を取って見学に行きました。

これが“TARO工房”の始まりです。

 
“TARO工房”という名前は、実家の改装を考えたきっかけが、その前年に交通事故で急死した父の部屋を工房にしようと思ったからでした。父の名前を残そうと思ったのです。

こうして無事に保健所の認可も取得して、2018年4月に菓子工房としてスタートを切った“TARO工房”
お菓子を製造販売するのがこんなにたいへんだったとは・・との気持ちから、自分と同じようにお菓子作りが大好きで、人から販売して欲しいと言われてもこの高い施設基準の壁が立ちはだかって夢を叶えられない人のお力になれないかと
工房レンタルも始めました。
自分もレンタル工房を探した時に、1時間毎の料金設定の高さに驚き、お菓子作りで工房を借りるだけでこんなに費用がかかっていたら、とても続かないと思った経験から、一日貸しの安価な料金設定でお貸しすることにしました。
この“TARO工房”が夢を叶える一歩を踏み出すお手伝いが出来たらと思います。

これからは山都町の農家さんが作る美味しいものもどんどんご紹介して販売していきたいと思います。

身体に良くて美味しいグルテンフリーのお菓子
夢を叶えるTARO工房
自然の滋味あふれる山都の食材

K’S FOOD LABは取り組んで行きます。


手作りだからこその材料へのこだわり・・
アレルギーの人にも美味しいお菓子を・・
そんな思いのつまったオリジナルの焼き菓子を注文販売したい。

そして材料へのこだわりが結んだ熊本の無農薬農家さんとのご縁。
豊かな自然、きれいな水、棚田で日の光をたっぷり浴びた無農薬のお米や抹茶から作られた米粉や抹茶、有機野菜のカレーなど。
安心・安全な熊本の美味しいものをご紹介して販売しています。

そして手作りの美味しいお菓子をもっとたくさんの人に食べて欲しい・・
という思いに立ちはだかるのが、菓子製造業の認可取得の壁の高さ。
認可取得のための施設基準のハードルの高さに、私も何年も思いとどまっていました。
それなら、私が認可施設を作って同じマインドを持つお菓子作り仲間に貸してあげよう!
との思いから菓子製造業の営業許可を取得した工房のレンタルを始めました。
小田急相模原駅から直ぐの一軒家。

ケーズフードラボ
代表 小野桂子
フードコーディネーター/米粉マイスター/TARO工房主宰